| 529820 / 砒野 
 will私は余命宣告を受けた訳ではない
また自死の決意を固めたというのでもない
 私にはこの遺書がいつ公になるか全く分からない
 寧ろそんな事はまずないだろうと高をくくっている始末さ
 
 書いている時の気楽さからして
 これは遺書と名が付いた世界のどの著述の中でも
 かなりふざけた部類に入る事はなんとなく想像ができるね
 何故私はこんな物を書き始めたのか
 
 魔が差したという言葉は決して適当ではないだろう
 こんな好奇心の何処に裁かれるべき悪を見出すの
 そう問うと誰かがすかさず死を弄ぶなと批判する
 そんな人も世界には少なからず居る事は知っているよ
 
 しかし私は既に直感的に悟っている
 彼らと私との間には恐ろしく深い隔たりがあり
 決して分かり合える日は来ないのだという事を
 その溝を埋めんとするどんな努力も無駄だという事を
 
 普段は何事も話し合いで解決できると口先では言うが
 私は本当はそんな事は毛ほども思っていない
 あれ何の話だっけ
 ああそうだ分かった私はメンヘラなんだな
 
 昔の私ならこんなどうしようもなく後ろ向きになる度に
 苦しい自己嫌悪に襲われて小さく縮こまって震えてた
 でも数多の呵責を経るにつれて少しずつ
 その不快感は陶酔へと変わっていったんだ
 
 挙句私はこんな有様になってしまったけど
 それでも私は己を愛し続けている
 あらゆる厭悪の感情は結局自己陶酔に帰結するのさ
 つまる所それは一種の自己愛なんだよ
 
 そしてこの歌も自己愛の表現方法の一つだ
 そもそも遺書という存在自体が自己陶酔の権化だからさ
 私はこの歌をこれから何度も何度も聴き返して
 殆ど自慰みたいな自己陶酔の感傷に浸るのだろう
 
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